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車塚古墳発掘調査現地説明会を開催しました。

印刷用ページを表示する掲載日:2020年1月31日更新

車塚古墳第2次発掘調査現地説明会を開催しました

防府市教育委員会では、昨年11月25日から、車塚古墳の形状などの構造を明らかにするため
墳丘部の発掘調査を行ってきました。
その成果を一般に公開するため、去る令和2年1月25日に現地説明会を開催しました。
車塚古墳前方部石室外観妙見社本殿前で説明中
1週間前くらいの天気予報では、25日(土曜日)は、ほぼ雨の予報。「今回の現地説明会は中止か」と、あきらめモードでした。
それが前日くらいの予報で曇りベースになり、
説明会当日は薄日が見えるくらいの天気になりました。
駐車場がないにもかかわらず、150人以上の参加者がありました。
車塚古墳や発掘調査に多くの方が興味を持っておられるようで、調査する側も元気づけられました。
現地説明会の様子現地説明会の様子
車塚古墳の所有者の天御中主(あめのみなかぬし)神社様のご厚意で、いつもは見れない後円部の石室内部も公開されました。
後円部の石室の様子後円部の石室を見学する人々

今回の発掘調査の成果

(1)墳丘の構築方法や築造年代が判明

今回の調査で、市内で初めて、県内でも珍しく前方後円墳の構築方法が明らかになりました。
古墳の高さは8mほどと想定できますが、そのほとんどは土を盛って造っていることから、かなりの土量です。
これだけの技術と労働力を駆使できる被葬者がどれだけの権力を持っていたか、想像できます。
また、この古墳の築造年代はこれまで6世紀中ごろと考えられてきましたが、
測量調査や発掘調査の結果、6世紀後葉~末葉に造られたことが明らかになりました。
発掘現場で説明 水平に積まれた土層

(2)古墳築造後の土地利用が明らかに

今回の調査では、一つめの発掘抗から中世の瓦質土器や瓦(15世紀頃)が出土し、中世文書にある多々良宮が近くに存在した可能性をうかがわせます。
また、近代(明治~昭和初期)と思われる鳥居・銭・磁器(狐の置物)がまとまって見つかり、稲荷社が古墳の北側斜面に存在した可能性があります。
二つめの発掘抗では大きな窪みが見つかり、瓦礫が出土することから、防空壕やその後ゴミ穴として使われたと考えられます。
出土遺物の写真近代の遺物写真

(3)防府の古墳文化や国府成立までの政治構造を見直すきっかけに

昨年度の測量調査と今年度の発掘調査によって、古墳の年代が明らかになってきました。
防府の古墳は、車塚古墳に代表されるように、九州の技術を導入して築造され、古墳時代後期~飛鳥時代(6~7世紀)に大型の横穴式石室を有する古墳が数多く築造される特徴があります。
車塚古墳の調査では、築造当時の有力者の存在や防府の地の重要性が明らかになり、なぜ防府に国府が置かれたのかを考えるうえでも重要な成果となりました。
第2発掘坑の説明崩落の恐れがある前方部の石室
※当日配布資料は残部があります。ご希望の方は文化財課までご用命ください